大義と我儘

これはわがままだろうか
それとも大義だろうか。

軸がなければ全てがぶれる

真がなくては全てが壊れる
自我が大義と同義なら

それは大義なのだ
自分の想いが大義なら押し通そうとすべきなのだ
もちろん大義も一つだけとは限らない

どれか一つだけが正しいわけではない
それを周知しておかないと

それはそれで痛い目を見ることになる
だが

大義と大義をもってして初めて話し合いになるのだ
個人でも

家庭でも

会社でも

国でも
数が増えれば大義も増える
文化や宗教でも
大義は複雑に増える
人生の目的は一つではない

あなたの幸せは私の幸せとは違う
ただ自分の大義を作る為に
概念を作り、言葉にする

言葉にし、そこに心を通わす
それはとてもわがままで

とても尊いことだ

陸続きの国にて想う

国境を越え車で数分走ると
見たことのないコンビニ

見たことのないガソリンスタンド

見たことのない銀行
たった数キロで馴染みのあるものが一変する
見たことのないものを見ること

聞いたことのない言葉を聞くこと

経験したことのないことを経験すること
それはとても楽しく、とても恐ろしい
人生でもそのような局面は多々あり
知らないことを知ることは

楽しみであり、恐怖でもある
でも
知っていることの方が少なく

知らないことの方が多いのだから
ほとんどのことが

恐くもあるが

楽しいことでもあるのだ
imaging creation & creating imagination
創造することを想像する

想像することを創造する
それは
気づくこと 想いを馳せること 

そして、楽しむこと

気づくことを楽しみ
楽しめることに気づくのだ

楽しみ方を知るのだ

pay forward

39歳を迎え、

thank you  ということで、

40歳を前にたくさんの感謝することを

 

想う。

 

仕事を始めた時、たくさん忘れられない恩もある。

 

仲の良い友達や、親、大切な人など、
居てくれるだけでありがとうと思う事もある。

 

たくさんの人に会い、

たくさんのモノを見て、

たくさんの話を聞き、

たくさんのことを想う。

 

それは、

 

 

 

存在の証なのだと思う。

 

 

自分が存在するということ。

それが存在するということ。

 

とても尊く儚いものなのだと思う。

 

昔のことや、自分が生きているこの時間以外のことは何が本当で、何が正しいのか、わからなくなることもたくさんあるけれど、

 

自分が経験したことや、体験したこと

それに関わるものは、

 

 

存在している。

 

この先そのことを自分と同じように、本当なのか、真実なのかわからない、という人たちが生まれ、自分らの昔のものよりも多くの情報に埋もれ、何を信じたらいいのかわからないようなことになったとしても、

 

その錯綜する情報のほんの微々たる可能性でいい

 

 

 

無限に広がる選択肢のうちの1ミクロン

 

 

 

そんなことを想像し、

 

ブログという形で何かを残してみようと思う。

 

 

つまり、それは・・・

 

 

 

 

 

 

愛なのである(笑)